2022年から

小学校になる娘に思うこと。

小学校になる娘に思うこと。
いじめは学校のせいでもない。
ということを親がまず理解して進学させたいなと思う。

通常の学校や組織に通うと、そこには社交があって大人も子供も関係なく、 同調圧力があって、特に理由がなくても、うまくはまらなければ、友達ができない。友達ができないと、友達のグループがいる子達はいじめの対象にしたり、からかいの対象にしたり、彼ら一人一人のストレスのはけ口として扱われたりもする。

たまたま、その社会ではまらないだけで、例えば塾や習い事では普通に友達ができたりする子もいるから、その子自身の問題でもない場合も多い。
だから、いじめのタネは無くならないし、起こる前から拾うことは難しい。担任の行動や性質により、それは随分なくなるはずだけど、そうゆうことに配慮ができない無能な先生が多いから、クラスでは、いじめが起きやすくなる。教師含めてみんなが個人的なストレスを抱えているから。
もしも子供がうまくはまらなかったら?
ということを、全くどのグループ(学校、塾、習い事、家)にはまらなくて、学生時代一人でいた私は、時々考える。クラスで40人いた女子中で誰も私に話しかけてこなかった時期があった。別にそれが寂しいのではくて、たまたまグループがさっさとできて、そのどれにもハマらなかった。挨拶する人もいたしクラブ活動では話す子もいた。でも違和感がある一人でいる人に、集団の同調圧力のせいか、あえて誰も、話しかけなかった。強いて言えば、テレビを一切見せてもらわない環境だったので、芸能人を誰一人知らない中学生だったから早々にグループを作る子たちはB'Zの話で盛り上がっていたけど、入れなかったなと思った感覚はあった。

親に相談もしたことがあるけれど、逃げることもゆるされなかったし、話した日のことを思い出すけれど、親は困っているようだった。気にしないでと言われたけど、気にはしていないし困ってもいないのだけど、移動が一人で食事も一人で気まずさはあった。

最終的には毎日のように、橋桁の欄干にたって電車を見たり、図書館で過ごしていた。飛び込んだり交通事故に会いたいとすら思っていた。ひたすら重く続いて、かわらない明日が来て欲しくなくて。中学時代を思い返す時、晴れた日を1日も思い出さない。いつもそれは曇っていた。(唯一晴れた日を思い出したのはサリン事件があった日で、地下鉄は私の通う中学の最寄り駅でもあった。世間が騒がしいことは、そうした行き止まりにいた人には晴れ渡る空のように感じた。いまでいう無敵の人だから。)

娘がもし、とある社会でうまくはまらなかったら、と考える。その時は想像より早くきた。越して2つ目の郊外の保育園の時がそうだった。

最終的には、何らかの解決策や逃げ道を与えた。幼稚園に転園したら全てうまく言った。

小学校ならどうだろう。1ヶ月学校を休むことを提案してみる。休んでもいいけれど、その間、勝手に遊んではダメ。(ゲーセンに行ったり犯罪に巻き込まれたりするから)徹底的に親が干渉して、親と一緒に、やりたいことを考える更生プログラムで生活してみることを提案。抱えている問題を忘れられる、楽しいことがいい。
うちの場合は、もちろんインドネシアに行く。バカンスを与えてそのクラス内で悩んでいることが、いかに小さくてくだらないかがわかると思う。(クラスの人間がくだらないという教え方はしないだろう。そうした無関心な冷たい人間がおそらく現状の彼女のいる環境の80%だから)そうした、きちんと逃げ道がある子供(一旦休むなど環境を変えた子)を、ストレスを抱えたかわいそうな子供達は、多分いじめない。

いじめる人を選ぶから。自分たちは逃げ出せない状況にいることを知ると、不思議と関わらなくなると思う。(休んでいる間には、その間にクラスの人間関係も変わったりする。子供は平気で次の獲物を探す。)
それでも、余計行きづらくなる場合もある。その場合は、もうそこには娘の行く理由がないので、違う入れ物を探す方が懸命だと思う。