2022年から

親の守備範囲を超えて欲しい

子育てしていて、頻繁につまずくことがあります。

よその子供が苦手。お母さん集団の甲高い話し声がダメすぎて習い事の付き添いがつらい。(コロナの間は、すごく最高でした)。


それは親の(私の)生きてきた経験の守備範囲というものが、あまりにも狭く偏っているからなのだろうと思っています。


そもそも結婚して親になる(正確には、親になった上に、結婚までしてしまった)という普通の人生が人生設計の中になかったので、30代後半で、直角に舵をとっています。人生のこれまでを、盛大に補正しながら子供に教えていかなくてはいけない。


アンダーグラウンドソングや、ハードロックやグランジばかり聞いて、ジャカルタの片隅でお酒をのんで、昼間寝て夜起きるみたいな生活をして、3日寝ずにオンラインゲームしたり、逆に2日も仕事で帰れないような生活に、子供も夫もいませんでした。


そこから、いいと思われているような物事に子供をアクセスさせたり、いわゆる社会性とモラルのある行動を求められることをこなしていく。クラシックに触れさせたり、演劇見せたり、縁日つれていったり、保育園のお母さんたちと挨拶し、先生ともうまくやる。


そうした親の守備範囲を超えたものを、どうしたら娘に見せてやらせて触れさせるかは毎日悩みます。(好きになる必要はないですが、触れる機会は常に与えたい)

 

「子どもの宇宙の広がりについて、われわれ大人たちは
 もっともっと敬意を払うべきである。」

子どもの宇宙 by 河合隼雄
わかっているのにどうしても。


でも、親がどんな人間だとしても、見守ってさえいれば、子供の世界ってちゃんと広がって行ってほしい。大切なのは教えることよりも邪魔しないことなのかもしれません。

でも思うのですが、いわゆるいいお母さんというモラルの中で生きてきた人の子供でも、本当にインモラル(人に平気でサッカーボールぶつけてきたり、電車でおかし食べたり、いじめをしたり)というのを目の当たりにして、必ずしも親の振る舞いが子に行くわけではないというのを実感する日々です。